日本カナダ文学会
The Canadian Literary Society of Japan
L’Association Japonaise de la Littérature Canadienne
NEWSLETTER
THE CANADIAN LITERARY SOCIETY OF JAPAN
L’association japonaise de la littérature canadienne
Number 66 Fall, 2016
会長挨拶
日本カナダ文学会会長 佐藤 アヤ子
少しずつ秋の気配を感じるようになりました。会員の皆様にはますますご活躍のこととお喜び申し上げます。ニューズレター66号をお届けします。
原田寛子会員のお力添えをいただき、6月18日(土)に福岡工業大学で開催された第34回年次研究大会・総会はおかげ様で成功裏に終了することができました。本大会では、午前の部で研究発表を二つ、午後の部でカナダ映画のシンポジウムを組みました。ハリウッド映画に押されてカナダ映画は日本では注目度が今一つですが、新しい映像作家や監督の登場で、高い評価を得て、カナダでは商業的にも成功を収めている映画が近年多く製作されています。このような状況を鑑みて、現代英語圏カナダ映画、現代ケベック映画を考察しました。発表者の方々、並びに司会者の方々、お疲れ様でした。御礼申し上げます。
『ケンブリッジ版カナダ文学史』の翻訳書が、8月30日に刊行されました。本書は日本カナダ文学会創立30周年記念行事として企画されました。830頁もあるThe Cambridge History of Canadian Literature (2009)は、日本カナダ文学会が長い間探し求めていたカナダ文学史に関する最高研究書です。言うまでもありませんが、カナダには、英語圏カナダ文学とフランス語圏カナダ文学という特殊な文学環境が存在します。また、多文化主義政策を世界に先駆けて導入したカナダには、今日、多くの多国籍作家が活躍し、カナダ文学界に勢いをつけています。本書では、そのようなカナダ特有の国民文学を始原から現代まで広く知ることができます。さらに、ネイチャー・ライティング、ライフ・ライティング、ジャーナリズム、コミックスといった従来型のジャンル分けでは行き詰った作品も本書では論じられ、カナダの歴史、カルチャーを知りたい読者にも気軽に読める参考書です。
今回の年次総会で、名誉会長と名誉会員を新たに設立しました。名誉会長は、日本カナダ文学会会長として、日本カナダ文学会、および日本国内外でカナダ文学研究の発展に貢献されてきた元会長職経験者に、名誉会員は、日本カナダ文学会に長く貢献された会員に、両者ともに推薦のもとに授与されます。浅井晃元会長と堤稔子元会長に名誉会長を、堤稔子名誉会長とともに4年にわたり『ケンブリッジ版カナダ文学史』の翻訳書の校正等をお引き受けいただいた大矢タカヤス会員に名誉会員を授与することが総会出席者全員賛成のもと決定しましたのでご報告申し上げます。
最後に、会員各位のますますのご活躍をお祈り申し上げます。
日本カナダ文学会 第34回年次研究大会を振り返って
副会長 村上 裕美
今大会は、格別に記念に残る大会となった。日本カナダ文学会設立30周年を記念し、発案から数年をかけて学会の記念行事として『ケンブリッジ版カナダ文学史』の翻訳出版に取り組んできた。この数年の大会において翻訳作業の進歩状況の報告がなされてきたが、今大会において8月の完成が堤稔子名誉会長から報告された。
26名の会員が翻訳に挑戦したが、全ての原稿を堤名誉会長、大矢名誉会員が想像を超える時間と労を費やして編集してくださった。ご苦労を言葉に表さず、一人一人に寄り添って黙々と編集してくださった。両先生のお力なしにはこの偉業はなしえなかった。それにもかかわらず、堤先生はさらりと完成報告をなされた。計りしれないご苦労に感謝の涙を抑えることができなかった。大会に参加しこの報告を受けた会員は皆同様に感じたことだろう。完成した翻訳本を手にした会員は誰しも、その厚みに比例する偉業を感じたことと思う。『ケンブリッジ版カナダ文学史』はカナダ文学の歩みを紹介するまたとない貴重な機会となり、さらなるカナダ文学研究者や愛好家を増やすことになると信じている。
また、記念に残る大会となったもう一点は、カナダ映画を取り上げたシンポジウムである。過去の年次研究大会において扱われたことがなかったテーマであったため、改めてカナダ映画について考える機会となった。今後、大会等でカナダ映画に関する発表も増えることが期待できる。
個人的な感想にもなるが、今大会でカナダ文学読書会として翻訳活動研究の成果発表として読書会代表の村上裕美が「Half World:異次元界構築の手法」について発表したが、8名の読書会メンバーが見守った。今後、メンバーが後に続いて発表する機会を提供できるよう読書会の活動をさらに活発にしたいと願う機会になった。
最後に、今大会を開催くださった福岡工業大学の原田寛子会員には大変お世話になった。正門をはいってすぐに広がる、美しいおとめが池、その池沿いの並木道を通って向かった真新しい会場FITホール。会場校からはすばらしい環境、設備、快適な空間を提供いただいた。
日本カナダ文学会の良さは、真摯な研究に対する姿勢と和気あいあいとした大会の雰囲気だと毎大会で感じる。今年度の大会を終え、来年の大会が今から楽しみとなっている。
第34回研究大会概要
<研究発表 1> 村上 裕美会員 Half World:異次元界構築の手法
《Techniques for Creating Another Dimension》
本発表では、Half World〈2009〉の翻訳活動を通じて作品中の語彙使用への関心が高まり、語彙分析の観点から①作家が描く世界と読者の認知の関係性、②作品に散りばめられたメタファーの働きの考察をおこなった。
語彙の巧みな使用および選択には、作品と読者を結ぶメタファーの働きと同時に作品おいて感じられるスピード感やスリル感にも効果が見られた。計算しつくされた語彙使いに加え、Half Worldには童話やおとぎ話の展開には不可欠な3つの要素が見られるが、それらを発表者は西洋の婚礼に花嫁が身に着ける4つの伝統的な”something old, something new, something borrowed, something blue’を援用し、’”something new, something old, something foreign taste”と分類し、異次元空間の構築法を考察した。
また、その独創的な異次元の空間と読者を結び付ける技法として作品冒頭のPrologueにおいて①時間設定、②Half Worldの設定と作品の世界観(three realms)の形成、③これから起こりうる事象の啓示、④文字フォントによるメタファーが作品の重厚さを与えるだけでなく、Half World の対象読者はyoung adultと分類されているが、巻頭言に寄稿されているSunburst Award Juryが言及するように、大人が楽しめる作品と称される理由の一端を考察した。
<研究発表 2> 西村 美保会員 『またの名をグレイス』に見るヴィクトリアニズム:
ファッション、偽善、セクシュアリティ
《Victorianism in Alias Grace: Fashion, Hypocrisy, and Sexuality》
本発表では、カナダの現代作家マーガレット・アトウッドの『またの名をグレイス』〈1996〉を取り上げ、ファッションやセクシュアリティに関する言説を考察した。ヴィクトリア朝イギリスの様々な特徴、ヴィクトリアニズムが英領カナダにおいて浸透する様を本作品がいかに描出し、そのうえで、カナダの独自性をアピールする手立てとして女性使用人の表象がモチーフとして用いられている様を吟味した。登場人物としては、主にサイモン・ジョーダンに焦点を当て、階級表象としてのファッションと使用人に着目した。『またの名をグレイス』は19世紀を舞台設定としており、その時代、イギリスでもアメリカでも、使用人とファッションは階級表象であり、イギリスの植民地も例外ではなかった。
発表内容は、以下の三つのセクション―Ⅰ.ファッションと抑圧、Ⅱ.不適切な関係、偽善、ダブル・スタンダード、Ⅲ.カナダらしさを表すものとしての使用人の表象―から成る。I.ではまず、主人公で囚人のグレイスにインタビューをする裕福なアメリカ人医師、サイモン・ジョーダンに焦点を当て、彼のファッションに関するコメントを分析した。支配階級の堅苦しい衣服への言及を通して、支配階級の人々が慣習とファッションに縛られた存在であること、そして上品な言動とファッションを取り除けば、彼らもまた人間の本質的欲望を有する生き物であることが示唆されている点を明らかにした。次に、ヴィクトリア朝のガヴァネスがしばしば売春婦のイメージで語られるように、サイモンの情婦となる下宿の女主人ハンフリー夫人のファッションとイメージもそれに類似している点を指摘し、サイモンの男性支配的な世界観を明るみにした。Ⅱ.においては、まず、サイモンの建前と本音を常に意識し、偽善を正当化する様子を吟味した。次に、彼の成長期における女性使用人との関係性が、ヴィクトリア朝イギリスの紳士と女性使用人との典型的な関係性とパラレルを成していること、そして女性使用人との関係性がグレイスに惹かれる素地を育んだ可能性がある点を指摘した。そして、サイモンとハンフリー夫人の情事を通して、支配階級のセクシュアリティが前景化され、ダブル・スタンダードがまかり通る様が描かれている点を明るみにした。このように、ヴィクトリア朝イギリスに浸透していた抑圧された雰囲気やダブル・スタンダードなど、ヴィクトリアニズムが植民地カナダにおいても息づく様を本作品は提示しているが、その上で、カナダの特質と現代性が女性使用人の表象を通して描出されている点をⅢ.において、明らかにした。
参加者からは、ポストモダニズムに関連した質問や、語り手に関する質問があった。
きにした、ある種のパロディであることを、テーマソングや挿入歌の歌詞をふくめて検証した。
発表は、ここで取り上げた近年のアトランティック・カナダの映像は、トロント出身の監督ドナルド・シェビブ(Donald Shebib)が『ゴーイン・ダウン・ザ・ロード』において表象した、中央カナダ出身者の持つアトランティック・カナダのステレオタイプを、アトランティック・カナダ出身者がパロディするものであるとともに、それをもって彼らが中央カナダの「文化プロデューサー」および文化消費者に、自らを売り込む傾向があることを指摘した。特に後に北米規模で劇場公開を果たした映画版の『トレイラー・パーク・ボーイズ』については、ハリウッド映画界で成功したアイヴァン・ライトマン(Ivan Reitman)をエキュゼキュティブ・プロデューサーに起用し、ステレオタイプを比較的ストレートにパロディしており、メインストリーム志向が強く感じられる。一方で、映画化やテレビ化のチャンスを模索しながら、2016年6月時点ではウェブ配信にとどまる『ジャスト・パッシング・スルー』は、外部から作られたアトランティック・カナダ像をアトランティック・カナダ人自身が演じること、さらにはオンタリオ人が赤毛のアン風の鬘をかぶり虚構のアトランティック・カナダ人像を実際に劇中劇の中で演じることにより、作られたイメージが複製され、商業化されていくプロセス自体を作品中で描く。これは『ジャスト・パッシング・スルー』が、決してエレガントとは言えない喜劇でありながらも、批評的力を秘めている可能性を示す一例である。
<発表 3> 現代ケベック映画における歴史的事実の表象 ―〈静かな革命〉めぐる問題 ―
《Representations of historical facts in Quebec’s contemporary cinema: Issues with the Quiet Revolution》(佐々木 菜緒会員)
本発表の主眼は、歴史的事実を扱った現代ケベック映画作品を3つ取りあげて、今日のケベック映画の特徴を検討することであった。本発表をとおして、昨今のケベック映画の特徴として、これまでほとんど語られてこなかった歴史的事実、或いはケベック史における繊細な問題が扱われていることを示すことができた。取りあげた3作品は、『漁師の家』 (La Maison du pêcheur, 2013)、『ジャン・コルボ』(Corbo, 2015)、『オーギュスティーヌのパッション』 (La Passion d’Augustine, 2015) である。これらは全て1960年代に始まった〈静かな革命〉に関わる裏の物語を描いている。前者2作品では、〈静かな革命〉の負の遺産として捉えられる1970年の〈10月危機〉前史が問題である。3作品目は、教会内部の変動、すなわち〈静かな革命〉によって批判と変革の対象だった教会の変化を描いている。本発表の構成としては、先ず、1970年の10月危機などを例に、ケベック映画における歴史の表象はいかなる歴史観を指し、どのような議論を生み出してきたか概観した。その後、各作品分析を行った。すなわち、繊細な歴史解釈の問題は、『漁師の家』では白黒とカラーを組み合わせた視覚的なテクニックをとおして一定の距離感のうちに表現されていることが示されたが、それは物語に備わった政治的要素を十分に中性化するものではなかった。そのために同作品に対する意見割れが生じたのである。『ジャン・コルボ』では、その政治的内容にもかかわらず、伝統的なケベックの英雄像=若い殉教者像が見出されるために比較的好意的な評価がなされていることを明らかにした。『オーギュスティーヌのパッション』では『ジャン・コルボ』と同じような殉教者的要素が認められた。それに加えて、同映画では音楽の存在によって象徴される芸術=普遍的な問題を扱っていることに、高い評価の起因があるのではないかと論じた。結論として、現代ケベック映画の特徴は、『オーギュスティーヌのパション』の監督リア・プールのように、第3者的立場から描いたケベック史と作家による芸術感性とが融合した点にみられるとした。
シンポジウム
《カナダの映画》(Canadian Films)
司会 松田 寿一会員
シンポジウム:《カナダの映画》(Canadian Films)について
佐藤 アヤ子会員
トロント、モントリオール、バンクーバーの三大都市圏を中心に、カナダでは、1911年以来多くの映画が制作されてきた。近年では、David Cronenberg(1943~)、Atom Egoyan (1960~)、Denys Arcand(1941~)等の大御所の映画監督が、そしてSarah Polley(1979~)やXavier Dolan(1989~)等の若手監督が多くのすばらしいカナダ映画を制作している。しかし、日本ではハリウッド映画やフランス映画の影に隠れて、今一注目度が薄いのがカナダの映画である。カナダ映画研究が少ないのも事実である。そこで、本シンポジウムでは、移民一世の監督によるトランスナショナルかつ多文化主義的作品に加え、それとは対照的にカナダの特定の地域に深く根差したリージョナリズムを問う作品も取り上げ、英語圏カナダ映画、仏語圏カナダ映画の双方を様々な方向から分析し、語った。
<発表1> 佐藤 アヤ子会員 [昨今のカナダ映画に見る〈カナダ性〉」
《“Canadaness” in Contemporary Canadian Films》
複雑化する今日の社会で、確たるナショナル・アイデンティティを見つけることはますます難しくなっている。そして、〈ナショナル〉と〈グローバル化〉、〈ディアスポラ〉、〈トランスナショナル〉との間の緊張感が根強く存続する。現代カナダ社会に於いても状況は同じで、〈カナダらしさ〉を見つけることは難しくなっている。しかし、今日のカナダ社会においては、この複雑さから生じる多様性がもたらしたものこそが、現在の〈カナダらしさ〉なのかもしれない。このことは、カナダ映画のなかでも顕著である。
本発表では、まずカナダ映画の歴史を総観することからはじめ、次に21世紀を迎え、国家、民族、言語、宗教の境界を越えてトランスナショナルな視点で描いたアトム・エゴヤン監督の『アララトの聖母』(Ararat 2002年)やワジディ・ムアワッド(Wajdi Mouawad)原作の『灼熱の魂』(Incendies 2010年)を中心に、移民一世の監督や作家たちが喚起する問題に〈カナダらしさ〉を探った。
アトム・エゴヤン監督は、エジプトに亡命したアルメニア人の両親の元、1960年にカイロで生まれ、3歳の時に一家でカナダに移住した。2002年、自身のルーツでもあるアルメニアの歴史の中のオスマン帝国によるアルメニア人虐殺を扱った『アララトの聖母』を発表。アルメニア人虐殺は、長く歴史の中の闇の部分であった。
ワジディ・ムアワッドは、1968年ベイルートに生まれた劇作家、演出家、俳優である。戦火を逃れてフランスに亡命したのち、1983年にケベック州に移住。『灼熱の魂』は、戦火の絶えない中東からカナダに移り住んだある女性の壮絶な人生を、過
去と現代を行きつ戻りつしながら映し出す人間ドラマである。
しかし、この二つの映画はともに、過去の大量虐殺事件、あるいは戦火が引き起こした哀しみへの共感を謳う単なる「歴史もの報復、暴力の連鎖を断ち切ることの大事さを喚起している。
カナダは多くの民族が暮らす多文化主義国家である。そのような状況にあって、「カナダらしさ」を見つけることは困難と言われて久しい。しかし、戦火を逃れてカナダに移住してきた監督、作家たちは、今、新しい形の「カナダらしさ」を映像の中に提供している。それは多くの民族が共生するからこそ可能なことである。その可能な「カナ
ダらしさ」を探るのが本発表の意図である.
<発表 2> 荒木 陽子会員 「ステレオタイプをセルフ・パロディする―近年のアトランティック・カナダを舞台ととする映像作品にみる日本におけるアトランティック・カナダのイメージとの距離―」
《Parodying Their Own Stereotypes: Atlantic Canadian Representations in Contemporary Atlantic Canadian and Japanese Movies》
本発表は、19世紀調の『赤毛のアン』のイメージに隠れ、日本にあまり伝わってこない、アトランティック・カナダの現在を表象するヴァナキュラーなイメージを、同地域に
おいて同地域出身の監督と役者を中心につくられた映像作品、『トレイラー・パーク・ボーイズ』シリーズ(Trailer Park Boys series, ケーブルテレビ、映画、2001~)と『ジャスト・パッシング・スルー』シリーズ(Just Passing Through series, ウェブ動画、2013~)を通して紹介した。そして、これらのシリーズが戦後の衰退したアトランティック・カナダを後にし、西へと向かう若者を表象したカナダの古典映画『ゴーイン・ダウン・ザ・ロード』(Goin’ Down the Road, 1970)を下敷きにした、ある種のパロディであることを、テーマソングや挿入歌の歌詞をふくめて検証した。
発表は、ここで取り上げた近年のアトランティック・カナダの映像は、トロント出身の監督ドナルド・シェビブ(Donald Shebib)が『ゴーイン・ダウン・ザ・ロード』において表象した、中央カナダ出身者の持つアトランティック・カナダのステレオタイプを、アトランティック・カナダ出身者がパロディするものであるとともに、それをもって彼らが中央カナダの「文化プロデューサー」および文化消費者に、自らを売り込む傾向があることを指摘した。特に後に北米規模で劇場公開を果たした映画版の『トレイラー・パーク・ボーイズ』については、ハリウッド映画界で成功したアイヴァン・ライトマン(Ivan Reitman)をエキュゼキュティブ・プロデューサーに起用し、ステレオタイプを比較的ストレートにパロディしており、メインストリーム志向が強く感じられる。一方で、映画化やテレビ化のチャンスを模索しながら、2016年6月時点ではウェブ配信にとどまる『ジャスト・パッシング・スルー』は、外部から作られたアトランティック・カナダ像をアトランティック・カナダ人自身が演じること、さらにはオンタリオ人が赤毛のアン風の鬘をかぶり虚構のアトランティック・カナダ人像を実際に劇中劇の中で演じることにより、作られたイメージが複製され、商業化されていくプロセス自体を作品中で描く。これは『ジャスト・パッシング・スルー』が、決してエレガントとは言えない喜劇でありながらも、批評的力を秘めている可能性を示す一例である。
<発表 3> 佐々木 菜緒会員 現代ケベック映画における歴史的事実の表象
―〈静かな革命〉めぐる問題 ―
《Representations of historical facts in Quebec’s contemporary cinema: Issues with the Quiet Revolution》)
本発表の主眼は、歴史的事実を扱った現代ケベック映画作品を3つ取りあげて、今日のケベック映画の特徴を検討することであった。本発表をとおして、昨今のケベック映画の特徴として、これまでほとんど語られてこなかった歴史的事実、或いはケベック史における繊細な問題が扱われていることを示すことができた。取りあげた3作品は、『漁師の家』 (La Maison du pêcheur, 2013)、『ジャン・コルボ』(Corbo, 2015)、『オーギュスティーヌのパッション』 (La Passion d’Augustine, 2015) である。これらは全て1960年代に始まった〈静かな革命〉に関わる裏の物語を描いている。前者2作品では、〈静かな革命〉の負の遺産として捉えられる1970年の〈10月危機〉前史が問題である。3作品目は、教会内部の変動、すなわち〈静かな革命〉によって批判と変革の対象だった教会の変化を描いている。本発表の構成としては、先ず、1970年の10月危機などを例に、ケベック映画における歴史の表象はいかなる歴史観を指し、どのような議論を生み出してきたか概観した。その後、各作品分析を行った。すなわち、繊細な歴史解釈の問題は、『漁師の家』では白黒とカラーを組み合わせた視覚的なテクニックをとおして一定の距離感のうちに表現されていることが示されたが、それは物語に備わった政治的要素を十分に中性化するものではなかった。そのために同作品に対する意見割れが生じたのである。『ジャン・コルボ』では、その政治的内容にもかかわらず、伝統的なケベックの英雄像=若い殉教者像が見出されるために比較的好意的な評価がなされていることを明らかにした。『オーギュスティーヌのパッション』では『ジャン・コルボ』と同じような殉教者的要素が認められた。それに加えて、同映画では音楽の存在によって象徴される芸術=普遍的な問題を扱っていることに、高い評価の起因があるのではないかと論じた。結論として、現代ケベック映画の特徴は、『オーギュスティーヌのパション』の監督リア・プールのように、第3者的立場から描いたケベック史と作家による芸術感性とが融合した点にみられるとした。
<特別寄稿>
大変残念なお知らせです。2014年、名古屋の年次大会でご講演いただいた、アカディア大学のハーブ・ワイル教授が、7月に急逝されました。筆者(荒木)自身も、5月にニューブランズウィック州で行われた学会で、ここにご寄稿くださった中京大学のクリストファー・アームストロング会員を含むメンバーで、近年のアトランティック・カナダ文学研究を牽引してきたワイル教授を囲み、歓談したばかりで、訃報に驚きを禁じ得ませんでした。ワイル教授のご冥福を祈るとともに、ここにワイル教授と親交の深かったアームストロング会員にご寄稿いただきました。
Herb Wyile, 1961-2016: A Recollection and Tribute
Christopher Armstrong会員
Herb Wyile, Professor of English at Acadia University, was a keynote speakers at the 32nd Meeting of the Canadian Literature Society of Japan, which was held at Chukyo University, Nagoya, in June 2014, where he lectured on “Globalization and Mobility in Contemporary Atlantic-Canadian Fiction.”
Herb was delighted to have been invited to Japan to give a talk to the Society. Some of you may have had a chance to speak to Herb in between the day’s sessions or at the reception that followed at Canada House in Nagoya.
Herb was taken suddenly ill with cancer and passed away at his home in Wolfville, Nova Scotia, on July 3rd. He was surrounded by his family, his partner Andrea Schwenke-Wyile and his daughters Hannah and Aniko.
Herb was a friend and colleague of mine of many years, and I’d like to share a brief recollection of him with you.
I first met Herb in 1995 at a session he organized for Association of Canadian College and University Teachers of English (ACCUTE) in Montreal. Entitled New Perspectives on East Coast Writing, the panel consisted of Glenn Willmott, Dianne Fuller and myself. All three of us were finishing or had recently finished our doctoral work.
Herb was older than all of us but cut a youthful, brotherly figure. He was then what he was his entire career: a scholar committed to his work while also extremely generous and supportive of others.
Unfortunately, that session on Atlantic Canadian literature was not well attended, and perhaps because of the small crowd, we were interrupted in the midst of our presentations by a janitor who came in to empty the trash and re-arrange the chairs.
Herb liked to retell the story of that session. His relish for those rather inauspicious beginnings bespoke, I think, not only his eye for the comic in everything but also his own humility, his unpretentiousness, his groundedness.
Over the years, I got to know Herb. We presented together on numerous occasions, and we co-authored a paper on David Adams Richards’ Miramichi trilogy.
If Herb was in the audience at your presentation, he was usually first with a question, an incisive question, or a supportive comment. He was genuinely interested in your work, and he always found what was praiseworthy in it. He’d send an email of congratulation when a paper of yours was published, and he always had a kind word for others. He spoke up for those who needed help. He brought new people into the field and he gave advice and encouragement freely.
Herb had another side that I didn’t get to see. He was active in sports. He played baseball and hockey and, I am told, was extremely competitive on the field or on the ice. At first, that surprised me a bit. However, in his academic field, I’d say something of that it makes sense: Herb loved to be part of a team and he hoped for the success of all. I’m not sure he would have liked the title of coach. But in his own way he exerted that kind of influence in a subtle always generous and caring way.
Herb’s contributions to the study of regionalism and the writing of Atlantic Canada brought postcolonial theory, historical and spatial perspectives and a critique of neoliberal economic policy to the study of the region’s literature. His most recent book, Anne of Tim Hortons: Globalization and the Reshaping of Atlantic-Canadian Literature, which reflected these themes, was winner of the 2011 Gabrielle Roy Prize for criticism.
Herb is author of Speculative Fictions: Contemporary Canadian Novelists and the Writing of History (McGill-Queen's University Press, 2002) and Speaking in the Past Tense: Canadian Novelists on Writing Historical Fiction (Wilfrid Laurier University Press, 2007). In addition to organizing two conferences on Atlantic Canadian writing as part of the prestigious Thomas Raddall Symposium, Herb co-edited special journal issues on regionalism, Canadian historical fiction, and contemporary Atlantic-Canadian literature. He was also responsible for the the development of an innovative internet resource for teachers and students of Atlantic Canada entitled Waterfront Views: Contemporary Writing of Atlantic Canada.
Herb was also co-editor of Studies in Canadian Literature / Études en littérature canadienne, a teacher of Canadian literature in the Dept. of English and Theatre at Acadia, and a passionate scholar of contemporary Atlantic Canadian writing.
I know I am not alone in feeling the great loss to the Canadian literary studies with Herb’s passing, and especially the loss for all of us in the field of Atlantic Canadian writing. Herb will be greatly missed.
There are plans by colleagues and friends to honour Herb’s contribution to the field of contemporary Atlantic Canadian literature and culture, including a special Thomas Raddall Symposium to explore and elaborate his work, hopefully bringing new scholars on board and enriching the field with further study. That is, I am sure, the thing that Herb would want most.
カナダ再訪
戸田 由紀子会員
2012年4月から1年間バンクーバーのブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)でサバティカルを過してから早3年が経つ。サバティカルで得たものは数多くあるが、その中でも、その後の研究活動の基盤と人的ネットワークが築けたことが何よりの収穫であった。そのおかげでサバティカル後も毎夏でバンクーバーを訪れることができている。
アメリカ文学から大きくカナダ文学研究へシフトしたのも、カナダでのサバティカルがきっかけとなっている。UBCではカナダ文学関連の授業を多数聴講したが、とりわけ興味深かったのはバンクーバーを中心に執筆する若手作家たちの作品を取り上げる授業であった。多文化主義政策が推し進められる中、逆にビジブルマイノリティが不可視化され、自己を表現する言葉が奪われているという1990年代以降の状況は、マイノリティがますますビジブルになっているアメリカの状況とは異なる。カナダの若手作家たちは作品創作を通してその言葉を探求するようになった。この新世代作家が手がける作品は、他の作家、批評家、研究者、アクティビストとの交流や議論とコールアンドレスポンスするような形で生み出される。その時々の社会の関心や問題点を敏感に捉えているからこそ面白い。もともとアメリカのマイノリティ文学を専門としてきた私にとって、アメリカとは異なるカナダ西海岸特有の社会的歴史的状況と連動して生まれる彼らの実験的作品群は新鮮だった。
しかしカナダでのサバティカル自体わたしにとって初めてのカナダ滞在経験ではなく、それ自体が「カナダ再訪」であった。わたしは父親の仕事の関係でカナダのモントリオールに小学校4年生から中学校3年生までの5年間を過ごし、その後も友人の結婚式に出席する度に何度か訪れているのだ。モントリオールはバンクーバーと比較にならないほど現在もアジア系の人口が少ないが、1980年代わたしが住んでいた当時、自分の住んでいる地域、通っていた学校や習い事に自分以外のアジア系は一人もいなかった。カトリックの宗教行事やシェークスピアのみ取り扱う英語の授業から、外部者としての自身の立ち位置を意識するようになったのは当然のことかもしれない。2年前のカナダ文学会年次大会にお話にも来てくださったラリッサ・ライやヒロミ・ゴトーさんらが感じておられた疎外感と同じである。
カナダで多感な思春期を過ごした経験は、その後の個人的な進路を大きく左右することになる。その当時はまったく関係ないと考えていたことが、振り返ってみると、実は自身に影響を及ぼしていたことに気づかされる。その一つが、中学時代ずっと英語の授業を担当してくださったカリブ系カナダ人のドメロ先生の助言である。ドメロ先生は授業ではシェークスピアのみ扱っていたが、折に触れては先生が評価する映画や小説を学生に紹介されていた。その中で特に記憶しているのはアリス・ウォーカーの『カラー・パープル』の映画である。今から考えると、ドメロ先生もビジブルマイノリティの女性として、人種と性の二重の差別を受ける主人公セリーの物語は無関係ではなかったのだろう。また個人的には『赤毛のアン』を読むように何度も勧められた。当時は英語が母国語ではないから子ども向けの作品を勧められるのだと思い、納得がいかず、実際に読んだのは日本に帰国してからだった。その時にはなぜドメロ先生の助言をもっとはやくきかなかったのだろうと作品に深く感銘を受けながら後悔したのを記憶している。またその後大学の授業でドメロ先生に勧められた『カラー・パープル』を読み、卒論をウォーカーの作品で、そして大学院ではトニ・モリスンを中心としたアフリカ系アメリカ人の作品を研究することとなる。カナダでマイノリティとして過ごした経験が、人種やジェンダーの問題を中心的に取り上げるマイノリティ文学への関心へと繋がっている。
UBCのジャニス・スチュアート教授が、文学研究は何よりも「自分について知る」ことだと述べられ、その通りだと感じた。「自身を表現する言葉」を探求している現代カナダ文学をわたしが研究しているのは、わたし自身も「自身を表現する言葉」を探し求め続けているからだと思う。
先日モントリオール時代の友人から来年モントリオールは375周年を迎え、さまざまなエキサイティングなイベントが予定されているため、再訪する絶好の機会だと誘われた。また2017年は、カナダ建国150周年を記念する年で、カナダ全国の国立公園および歴史的遺産が無料となるそうだ。一度も渡加されたことがない方、しばらく再訪されておられない会員のみなさまも来年あたりカナダを訪れてみてはいかがだろうか。
第34回日本カナダ文学会年次研究大会における総会議事録
第34回日本カナダ文学会年次研究大会開催に際して行われた総会の議事録を以下に記録する。報告事項、審議事項はすべて承認された。
開催日時:2016年6月18日(土)13:15~13:45
開催場所:福岡工業大学 FITホール2階 セミナー室
会員総数:総会員数73名中21名出席・委任23名 総会成立
報告事項
1.『ケンブリッジ版カナダ文学史』進歩状況
7月刊行予定が、会長より報告された。
2. 2017年度年次研究大会予定が、会長より報告された。
開催日:2017年6月17日(土)
開催場所:大阪樟蔭女子大学
シンポジウムテーマ:「カナダのゴシック文学」
3. 学会事務局変更
名古屋外国語大学、室 淳子副会長研究室に変更されることが会長より報告された。
4. 紀要締め切り日
10月末日とすることが、紀要担当編集委員長より報告された。
5. Newsletter発行
9月末とすることが、NL担当委員長より報告された。
審議事項
1. 名誉会長、名誉会員の件
長年、日本カナダ文学会に貢献した元会長・会員に、名誉会長、名誉会員の称号を送ることが会長より提案され、承認された。今回は、日本カナダ文学会の創設メンバーで、長年に渡り会長としてお働きいただいた浅井晃元会長と、『ケンブリッジ版カナダ文学史』の日本語版監修に多大なご尽力をいただいた堤稔子元会長に名誉会長を、大矢タカヤス会員に名誉会員の称号を贈ることが会長より提案され、承認された。
2. 新役員
松田雅子会員の退会につき大塚由美子会員の役員就任が提案され、承認された。
3. HPの一層の充実が提案され、HP委員長より了解された。
4. 紀要発行時期
3月を年度内とし刊行を目指すことが提案され、紀要編集委員長より了解された。
5)2015年度・2016年度会計 (次頁以下を参照)
6)新入会員・退会会員
新入会員
大森裕二(拓殖大学工学部 准教授)
濱 奈々恵(西南学院大学 言語研究センター 助教)
退会会員
窪田憲子 黒川顕成 鈴木智子 松田雅子
(文責:会長 佐藤アヤ子)
会員による新刊書紹介
〇コーラル・アン・ハウエルズ/エヴァ=マリー・クローラー編
『ケンブリッジ版 カナダ文学史』堤稔子/大矢タカヤス/佐藤アヤ子日本語版監修、日本カナダ文学会翻訳(彩流社、2016年8月)12000円+税、ISBN:978-7791-2151-7
〈内容紹介〉
日本におけるカナダ文学・文化の研究に必携の専門書。先住民の作家からアリス・マンロー、マーガレット・アトウッドまで。英仏両語の作品を網羅した本格的カナダ文学史The Cambridge History of Canadian Literature (2009) の完訳(訳者代表より)。
事務局からのお知らせ
<新会員紹介>
今年度入会された方をご紹介します。
〇 大森 裕二会員(拓殖大学)
専門領域―アメリカ演劇
カナダ文学への関心・入会の動機―カナダ演劇に関心がありますが、10数年前、トロント大学に留学した時に授業でカナダ演劇作品を幾つか読んだきりで、本格的な勉強はしたことがありません。今年9月から1年間、ブリティッシュ・コロンビア大学に客員研究員として滞在するので、これを機に少し勉強してみたいと思っています。
〇 濱 奈々恵会員(西南学院大学)
19世紀英国女性作家ジョージ・エリオットを研究しています。最近は、アイルランド生まれの作家エマ・ドナヒュー(カナダ国籍)に興味を持ち、セクシャリティゆえに周縁化された人物の描かれ方を研究しています。刺激的なカナダ文学会を通して、文学全般の造詣が深まるように頑張ります。よろしくお願いいたします。
<退会者>
窪田憲子 黒川顕成 鈴木智子 松田雅子
<学会費のご案内>
2016年度の学会費がお済みでない方は下記の口座までお納めください。なお、2015年度以前の学会費がお済みでない方は合わせてお振込み頂けましたら幸いです。
振込先:
郵便振替口座: 00990-9-183161 日本カナダ文学会
銀行口座: 三菱東京UFJ銀行 茨木西支店(087) 普通4517257
日本カナダ文学会代表 室 淳子
正会員 7,000円
学生会員 3,000円
編集後記
北の地方にはすっかり秋の風情が漂う季候になりましたが、会員の皆さまはいかがお過ごしでしょうか。今号は6月に福岡工業大学で開催された第34回日本カナダ文学会年次研究大会の報告を中心に作成致しました。司会、発表者の皆さんには多忙な中、ご寄稿いただき、誠にありがとうございました。またArmstrong会員からは急逝されたHerb Wyile先生への心温まる追悼の文章を寄せていただきました。Wyile先生との長年の友情、共に学び、研鑽されてこられたエピソードの一つ一つに胸を打たれます。改めて先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。「カナダ再訪」では戸田会員にご寄稿いただきました。「再訪」には、現代カナダ文学を通して、さらに「自身を表現する言葉」を追究するに至った会員のさまざまな体験が興味深く綴られています。カナダ建国150周年をめぐっての有用な渡加情報も頂戴しました。大会報告・会計報告、会員の新刊書、新会員紹介等の情報のご提供など、いつもながらNLの編集に際しては会長・副会長をはじめ、事務局、HP委員の諸先生方に大変お世話になっております。この場をお借りして、深く感謝申し上げます。(M)
今年は初めて南オンタリオで夏を過ごしました。北海道から新潟経由で出かけたのですが、南オンタリオが一番暑かったのが印象的でした。沿海諸州で夏を過ごすことが、ここ10年以上続いているのですが、気候的にも全く違うカナダに出会い、あらためてカナダ文学の多様性について考えさせられました。比較的温暖多湿な南オンタリオとはいえ、異常気象で雨も少なく、しばしば小説の中に描かれる広大な畑の作物もぐったりとしているか、からからに乾いているといった様相でした。ただ、そんななかでも、暑い国からやってきたらしい季節労働者の皆さんは、黙々と「自然に」農作業をしていたのも印象的でした。本号は35度を超える日々が数日間続くなかで編集した、私史上「最も暑い」ニューズレターとなりました。(A)
本学会ニューズレターは、カナダ文学に関する読書会や出版の案内、活動報告など、本学会会員のご投稿を反映させていくものです。寄稿をご希望の方はぜひ、事務局までご連絡をお願いいたします。2012年秋号より本ニューズレターは、公式ウェブサイト(http://www.canadianlit.jp/)と共に、電子配信のみでお届けしております。会員の皆様には経費節減にご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。(A&M)
第35回日本カナダ文学会
年次研究大会のお知らせ
「第35回日本カナダ文学会年次研究大会」は、長尾知子会員のご尽力で、2017年6月17日(土)に大阪樟蔭女子大学(東大阪市)で開催されます。大会のシンポジウムのテーマは「カナダのゴシック文学」です。午前の部の研究発表、及びシンポジウム参加者を募ります。
希望される会員は佐藤アヤ子会長までご連絡ください。
NEWSLETTER THE CANADIAN
LITERARY SOCIETY OF JAPAN 第66号
発行者 日本カナダ文学会
代 表 佐藤 アヤ子
編 集 荒木 陽子 & 松田 寿一
事務局 名古屋外国語大学 現代国際学部
室 淳子 (副会長)研究室
〒470-0197 愛知県日進市岩崎町竹ノ山57
TEL: 0561(75)2671
EMAIL: muro@nufs.ac.jp
会長連絡先 明治学院大学白金校舎
国際経営学科 佐藤 アヤ子研究室
〒108-8636 東京都港区白金台1-2-37
TEL: 03 (5421) 5206
EMAIL: ayasato@eco.meijigakuin.ac.jp